詳説変換・思考回路 さ行

砂糖水

砂糖水。
作ってみたらまずかった。
小さい頃は一体どうしてこんな物を欲しがったのか。

今僕は、ただひたすらに砂糖をなめ続けている。


心臓

秋の陽ざしに鋼が入って
道を吹く風が透明になる
す黄色の混じり始街路樹の
少し早い落ち葉を踏みたい

全てが冷たくなってしまう前に
心地よい音と感触を楽しむ
そしていつか暖かい部屋に入ろう
柔らかい物に触れていたいから

だめです
もうこれ以上きれいな言葉には出来ません
会いたいしさわりたいし
けっこうどうにもなりません

色々自分のなかのごたごたしたものが
見えてきたように思うけど
本当にどうにもならないんですね
どうしましょう
仕方ないとはいえ
そんな恋とはいえ


睡眠時間

 文章は夜中に書く。これは書き始めた高校時代から変わっていない事だ。高校時代は部活の締め切り前日に3時か4時まで書いて、次の日父親に無理矢理起こされて学校へ通っていた。大学に入ってからは一人暮らしで誰も起こしてくれないので、自然と午前は自主休講になる。深夜に書くということは睡眠時間を削るという事では無いようだ。文章を書くことはだんだんと少なくなってきたが、それでもやはりこうして今も深夜に書いている。深夜と言うよりはもはや明け方かも知れない。
 人間には三大欲求があり、睡眠欲<食欲<性欲らしいが、文章を書くときは睡眠時間を後ろにずらしても書くから凄いと思う。それなのになぜか書きながらおやつを食べているからおかしい。でもやっぱり少しは無い頭を使っているようで、文章を書いた後は凄く眠くなる。睡眠の開始だ。
 起きたら誰に文章を読んで貰おう。そんな事を考えながら眠りにつく。さぁ、今日はこれでもうおしまいだ。おやすみなさい。


センチメンタル・ジャーニー

 大学二回生の終わり、長期休暇の終わり間際に僕は地元の高校に帰った。大学の春休みはまだ寒いさなかの、冬の間に始まり、皆が寒さを忘れた頃に終わる。けれどまだ春が来たという訳でもない。とにかくそんな季節に僕は、高校時代を馬鹿騒ぎして過ごしたクラスの仲間ととみに母校を訪ねた。しかし休み中ともあって担任だった先生はいなかった。仕方なく僕らは別れ、それぞれに自分の馴染みの先生や場所を探しに行くことにした。
 僕は屋上に出た。部活の顧問の先生は留守らしいと聞いたからだ。そこは毎日放課後に、部活の仲間と声を限りに叫んだ場所だ。けれどもはや僕には叫ぶことなど出来なかった。
 そして僕は構内を、一人とぼとぼとみんなと合流すべく歩いていた。
「京じゃない、おひさしぶり」
顔を上げたら、そこには顧問の竹内先生がいた。
「全然変わらないな」
先生は言う。
「みんなによく言われます。大学の後輩が僕の高校時代の写真見て、変わらなすぎって笑うんですよ」
笑いながら僕は少しずつ高校時代の部活を思い出していく。竹内先生のあだ名といえば。
「うちさん、お久しぶりです。本当に」
そう、僕は卒業してから二年、初めて母校に帰ってきた。その実感と、自分が外見は全く変わらなくても、実は中身が変わってしまった事の実感、更には僕の事を見守っていてくれる人がいたという事の実感が押し寄せた。
 僕らは近況について情報を交換した。僕の研究室配属やサークル、同級生の石谷のバイトと就活、後輩の浪人の話。石谷についてはかなり盛り上がった。そして最後に、僕にとって高校時代唯一の部活の先輩、冬子の話になった。
 その名の通り、冬子は冬の様な人だった。冷たい言葉で周りを威嚇するが、その想いは暖かい。一人では生きているが、一人では生きていけない。二年前、浪人していた彼女と同時に大学生になり、僕の頭では「冬子先輩」ではなく「冬子」になった。そしてそれ以来、他の多くの友達と同じように連絡を取らなくなった。
 うちさんの顔が曇った。
「冬子がね…」
僕にはその先の言葉が見えた。その先を聞いても感想は「あぁ、やはりそうなったのか」とそれだけだった。何も考える事が出来なかった。僕は何も言わなかった。うちさんはその話を広めるつもりはないと言った。しかし、僕はどうしても同級生の石谷にだけは伝えたかった。僕と彼と冬子と顧問のうちさん、この四人で作ったような部活だったから。そして僕はすぐ彼に会いに行った。
 石谷は僕の話を聞いて驚いたが、やはり予想できたことだと言った。けれどそれ以上は彼も何も言わなかった。さらに時間が経ってから、僕らは互いの近況を少しずつ語った。バイトの話、就活の話、研究室の話。今までも何回も電話で話したような話だ。他にも互いに恋人ができただとか。高校時代の放課後のほとんどを一緒に過ごしたのに、二人は全然違っていく。
 最後、改札で手を振りながら僕はまたしても何も言えなかった。大切な友達。石谷が一言つぶやいた。
「ようやく春が来るんだね」

 実家への帰りの電車の中で僕はやっと考え始めた。
 冬子が死んだ。
 それは確かに衝撃的な事だった。それなのにどうして僕は何も感じないのだろう。いや、確かに何かは感じている。しかし、それは確実に軸がずれている。うちさんは僕に冬子は自殺したと告げた。こんなに沢山の人がいる世の中なのに、そのことを知っているのはおそらく10人もいないらしかった。そしてうちさんは僕に強く生きるように言った。
 更に時間が経ち、地元を離れる電車の中で、僕はまだ考えていた。僕にはもう高校の先輩はいない。
 高校時代の阿割、大学入学時。子ども時代の最後の場面。その時は大学生になれば何もかもが出来ると信じていた。それこそ魔法のように。しかしそれは幻想でしかなかった。結局僕らには何も出来なかった。ただの無力な学生にしかなれなかった。僕は希望の進学先を失い、それでも取り敢えず生きてきたが、冬子は何かを見失った先に命を捨てた。僕らには魔法は使えなかった。それこそ失敗作のファンタジーでしかなかった。気付いたときにこの子ども時代は音も立てずに終わった。消え去った。
 僕らの子ども時代は終わった。ようやく暖かさを感じるようになったこの季節、ようやく春が来る。石谷の言った言葉の意味も理解した。冬子の死を知ったことによって終わったのは、決して冬ではなかったけれど、少なくとも新しい季節が来たのだ。そしてこれはファンタジーなんかではない。僕の生きる現実の全てなのだ。
 明日、僕は久しぶりに大学先輩に会う。明日から新学期が始まる。彼女に生きることについて語ったら、どんな顔をするだろうか。けれど僕は語らすには居られないだろう。これ以上大切な人を失いたくはない。そしてこの毎日を、僕はまだちゃんと生きていかなければならないらしい。
 陽ざしが暖かい。もうジャケットは要らないだろうか。桜が電車の窓の外を流れていく。止まらない電車の中、僕は黒いジャケットを網棚の上に上げた。




 朝起きて、夜寝るまでに何度空を見るだろうか。おそらく自分の顔を見るよりはよく見ているに違いない。まず家を出る前に窓から外が暗くないかを調べ、家を出てからは玄関で本当に今日は雨が降らないかを考え、学校へ向かう途中信号を待ちながら何とも無しに空を見上げ、学校について自転車を止めながら今日も寒いなと空を見上げる。空が好きだ。
 こんな意味のない文章を書きながらも空についてずっと考えている。空の下で楽器を弾くのが好きだ。チューニングの違いからその日の気温や湿度が分かる。コーヒーを飲みながら空を見るのが好きだ。雲の流れを目で追いながら。授業中に隣の窓から空を見上げるのも好きだ。つまらない授業よりはよっぽど身のためになる。明日も空を見上げるだろう。例え晴れても雨でも。自転車に乗っていても歩いていても。しかしそれは一過性の物でしかない。
 昨日の空を思い出せるだろうか。それは天気くらいなら思い出せる。しかし太陽の揺らめき、雲の形、月の陰、そして自分の目線。そう言った物は思い出せるだろうか。全てはその時々に目に飛び込んできて、次の行動に移るときに消えていく。
 それなのに毎日毎日空を見る。飽きもせずに一日に何度も空を見る。繰り返す入力と消滅。全く日々の生活を象徴しているみたいだ。何事もただ通り抜けていくように生きているだけ。でも、それでも、少しの何かが自分の元に残るのだ。それが不思議だ。  真夜中でも良い、こんな意味のない文章を書きながらも強く思う。空が見たい。たとえ月が無くても、冷たい雨に頬を刺されようとも。いつまでもそこから学ぶ物が何なのか分からなくても。


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