僕の名前 2


 「陽一っ」 と言って僕の名を呼ぶ弟の明の姿が思い浮かんだ。森は僕達兄弟にとって冒険の場だった。僕と弟は年子で、小さい頃はとても仲が良かった。互いに明、陽一と名前で呼び合っていたくらいだ、兄弟というだけでなく、大切な遊び相手でもあった。この森にくると、弟と二人でどんどんと山道を歩いて行った。沢山の昆虫や動物の生活の痕跡を見つけたり、沢山の初めて見る植物を探したりもしたし、不思議な形をした石も拾った。知らない木の実も食べた。そして、一時間近くかけて歩いていった先にある大きな川が大好きだった。自分の背丈の倍近くある岩によじ登ったり、飛び石の要領で川を渡ったり、地下から水のわき出す泉を覗き込んだり、泉の中にいるイワナを見つめたり。僕達兄弟はそんな事をしながら少しずつ成長していったんだと思う。
 そうだ、急に思い出してきた事がある。僕は以前、弟と一緒に滝に落ちた。そしてその時、奇妙な体験をしたはずなのだ。なぜそんな事を忘れていたのだろう。あれは確か、僕が中学一年生の夏休みの事だったと思う。その年の盆にも僕の家族は四人でこの高原に遊びに来ていた。何日目かの午後に僕と弟は二人で川沿いの道を歩いていた。両親も後から歩いていたが、僕達のスピードに追いつけないでいた。森の中を流れる川は長い年月をかけて谷を作っていたので、川にたどり着くまでにひたすら谷の道を下らなければならなかった。山奥の川沿いとはいえ夏休み、谷底へ降り立ったときには汗がしたたり落ちてきていた。手を伸ばして浸かる川の水の冷たくて気持ちの良いことと言ったら、今までの暑さが全て吹き飛ぶくらいだった。
 そして両親の到着を待つ間、二人で川の中やすぐそばの岩の上を伝って少しずつ川を下っていった。前の年と同じように不思議な色をした泉の中を覗き込んだりもしていた。イワナが泳いでいる様子を見たりもしていた。そしてひとつの、大きな滝の上に来た。滝の水が落ちていくすぐ脇に大きな岩があり、二人してよじ登ってたっていた。その時、僕の方が川下に近い方にいた事は確かだ。こわごわと、その大きな滝を上から覗き込んだ。
「あぶ…なっ…」
先に足を滑らせたのは弟だった。弟は自分が足を滑らせたことに驚いていた。振り向いた僕の体に弟の体重がかかる。それに驚いた僕の足も滑り出した。二人分の体重を、川のぬめった岩の上では支えられない。支えられずに僕も空中へと飛び出し、そして二人一緒に滝壺へ落ちた。


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