僕の名前 3


 僕が気付いたとき、明はそばにいなかった。僕はひんやりと冷たい洞窟の中に寝ているようで、すぐそばに滝の下の方が見えていた。つまり、滝の裏側と言うことになる。不思議なことに痛いところはどこにも無かった。明を探そうと起きあがり辺りを見渡すと、この洞窟は随分と大きいことが分かった。滝の方はすぐに見える距離に有ったが、それ以外の端はどこに有るのか見えず、薄暗い中に包まれて消えていた。しばらくして目が慣れてくると滝とは反対の方に小さな光が見えた。この光は何だろう。もしかしたら明は、それを目指して歩いて行ったのかも知れない。光の方へ向かって歩いていくと、光は少しずつ大きくなっていく。そうしてどのくらい歩いただろうか、ついに光の中に明の陰を見つけた。
「陽一、ここを通らないと帰れないみたい」
明の顔は逆光になっていて見えないが、それが明であることは間違いが無かった。
「どうして?滝の側から出ればすぐなのに」
僕は良いながら明のそばまで歩いて行く。
「どうしても、ここが良い。陽一付いて来てね」
そう言うと、明は僕が追いつく前に光の中に踏み出した。僕も慌てて走り出し、そして光の中に一歩踏み出した。
 ストッという音と共に僕の足は地面についた。暗い中から光の中に入ったはずなのにまぶしくは無かった。後ろからシャツの裾を引かれて振り返るとそこには先に光の中へ踏み出したはずの明がいた。体は大丈夫?と聞こうとすると僕よりも前に明が歓声をあげた。
「すごいね!お祭りだよ!」
風で顔にかかった前髪を払いのけながら見渡すと、そこは辺り一帯に屋台の並んだ、どう見ても祭りの風景だった。既に祭りの騒ぎの中へ入っていこうとしている明を追って僕も踏み出す。
「本当だ。凄い数の屋台。お盆だからかな?」
まだ暗くなるには少し時間があるだろうに屋台には大人も子どももごった返していて、中には酒を飲んでいるものもいた。これはどういう祭りなのだろう。きょろきょろと見渡しながら歩いていると、しばらくして声がかかった。
「おや、見ない顔だねぇ。どこから来たんだい?」
綺麗な女性だった。真っ黒い中に色とりどりの柄の入った浴衣を着て髪を結い上げた、少しつり目の美人。僕達兄弟が答えるよりも前に彼女は続けた。
「まぁ、そんな事はどうでも良いね。それよりもあんたたち、今日は長の二人目の息子誕生の祭りだぞ?祝いの品は持ってきたのかい?」
言われても何のことだかさっぱり分からなかった。
「おや、何をそんな困った顔をしているんだねぇ?」
答えられないでいると彼女は小さい声でつぶやいた。
「知らない、人間か。それならばそれで良いねぇ」
そしてまた元の調子に戻ると言った。
「二人ともここへ来るのは初めてなんだろう?」
「はい、そうです」
「ならば、案内してやろう」
言う彼女は早速二人の手首をきつくつかんで歩き始めた。
「おぉそうだ、あたしのことはオオキのねぇさんと呼んでおくれ」
「ねぇさん?」
「まぁそれで良いか。よし、お前は…おや、二人は兄弟か。良く似ている」
「似てますか?僕が陽一で、こっちが弟の」
「明です」
「なるほどね、どっちも光の名前なんだねぇ。それは凄く良い」
知らない人間である上に、兄弟で、光の名前。それは凄く良いと繰り返し、ねぇさんは笑った。笑うとつり目がより一層強調されて、綺麗なのになぜか少し怖い。笑いながらねぇさんは僕と明の頭をもみくちゃにしてなでた。


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