僕の名前 7


 「さぁ行くんだよ」
行ってねぇさんは僕達を押して歩くように促した。日は暮れていたが、道の両脇に屋台が無くても歩くのに不便は無かった。灯籠の光は規則正しく続いていたし、不思議なことに始めの屋台ですくった光魚が光っていた。どこからともなく冷たい風が吹いていた。途切れずに祝いの品を献上しに来る姿は見えたが、風を遮る物は何もなく、冷たく背筋を凍らせる。それなのに急に生暖かくなって体中にまとわりつく。
「あっ」
僕の声に反応してねぇさんが振り向く。ねぇさんは何も持っていない。そりゃそうだ。ずっと片手に僕の手を、もう片方の手に明の手を握っていたのだから。ねぇさんは何を祝いの品として長の息子に献上するつもりなのだろう。逆に分かって来た事も有った。ここは僕の良く知った祭りの風景だ。けれど、決して僕の知っている物ではない。この祭りが、じゃない。この祭りを構成するものが、だ。みんな僕と明を見かけると良くしてくれる。それなのに、怖くなった。明が何を考えているのかは分からなかったけれど、その表情も硬く、不安があおられた。声を上げたのに何も言わない僕達の手を、ねぇさんはさっきまでよりも強く握った。
 門にまでたどり着いた所で、門番と思われる女性が声をかけてきた。
「オオキ、じゃないか」
「おや、イナか。本当に久しぶりだねぇ。それより、いつの間に門番にまでなったんだい?」
どうやらねぇさんとイナは昔からの知り合いの様だった。イナは銀色に光る衣をまとった背の高い女性だった。動きがなめらかで、どことなく優雅だ。
「これから祝いの品を差し上げに行くんだね?」
うなずくねぇさんにイナは僕と明を指差して言う。
「この二人の人間も祝いの品かい?」
「なぁに、冗談でもそんな事言わないで欲しいねぇ。人の子が怖がるだろう?」
人間だとか、人の子だとか。それは僕と明を指す言葉だ。冗談、何て言いながらもやはり手には何も持っていないねぇさんが怖いのは事実だ。
「何でかな、この二人の顔、わたしどこかで見たことある気がするんだよ」
「そんな事ってあるのかい?でも二人は初めてここへ来たって言っていたからねぇ」
「じゃ、気のせいだね、きっと」
ねぇさんとイナがしゃべっている間も祝いの品を手に持った者達が続々と長の家へ向かっていた。その手に持たれている物は、良く磨かれた玉や、龍の形をした細工物だとか、綺麗に仕立てられた着物だとか、様々だ。みんな、嬉しそうに長の家の門をくぐっていく。そうだ、なぜ僕は祝いの、めでたい祭りの中なのに、先の見えない不安に恐怖しなければならないのだろう。どうして知らない事は、初めて来た祭りの案内をしてくれたねぇさんを怖く見せるのだろう。
「明、長の息子が生まれたんだよね。だから、それをちゃんと祝ってこないと」
「陽一、怖くないの?」
「いや、僕も怖い。本当はね。でも、大丈夫だと思う」
そして、二人の握り拳をぶつけた。これは小さい頃から二人の間では、頑張ろうだとか、大丈夫出来るよ、といった言葉の合図だった。
「そうだね、陽一。元いた所へ帰るにはこれしか道がないと思うんだ」
そう、僕達は今、知らない所にいた。帰らなければならなかったのだ。でも、それよりも前に長におめでとうと言わなければならない。やはり風は冷たく吹いていたけれど、中に混じる生暖かい風が強くなり、僕の喉を締め付けた。イナが片手でもてあそんでいた腰の黒い帯が、風に揺れて長の家の中を指していた。
「さぁ、もう行った方が良いね。またしゃべろう。じゃ」
言うとイナは風に揺れる帯をきつく締め直した。
「そうだねぇ、行ってくるよ」
片手をあげて軽く振ったねぇさんは門の中へ向くと、再び僕と明の手を握って歩き始めた。


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