春風に吹く空 11


 そこに、白衣の女性が登場した。彼女は小脇にバインダーを挟み、まとめた髪を下ろしながらやって来て、そしてマスクを外すとこう言った。
「たった今、検死が終わったわ」
 僕はどうやって死んだのか。その謎がようやく分かる。
「被害者、月見里りょう。28歳、男性。死因は転落による頭蓋と脳の損傷及び流血によるショック死。つまり、この人が死んだ原因は転落と言うことになるわね」
一同が息をのんだ。そして吉井は少しがっかりした顔をして、高木はまぁそんな所だろうという顔をした。結城はというと、相変わらず暗い顔をしていた。
「でも、あいつが飛び降り自殺なんかするような奴かな?」
どうだろう。僕は自分で自分が何をしたのか思い出せないという情けない状況なのだ。
「ただ、少し気になる部分が有った」
そう言って取り出したのが脳のCT画像だった。
「ここにね、脳内出血が起こっているでしょう。でも、これは転落による物ではないわ。この部分の出血は二年以上前の物だと考えられるわ」
「二年前。それはつまり、車の事故の時ですか?」
吉井が誰にともなく聞いた。
 ゆっくり、口を開いたのは結城だった。
「俺達は、というのは俺とそれから月見里の元カノの深雪ちゃんと、あとは家族との事やけど、月見里に隠していたことがある」
それは、深雪がさっき言わなかった事なのか?僕は段々と不安になってきた。結城はCT画像を指差しながら言った。
「あいつはな、二年前の事故で指を怪我して人前で演奏できなくなった。でもな、事故の後遺症はそれだけやなかった。それがこの脳内出血や」
悔しそうに結城は語った。なぜその脳内出血を僕に教えなかったのか、それは周りの人なりの配慮だったのだ。
「この脳内出血はな、あとホンの少しでも拡大すれば月見里の聴覚を奪ってしまう、そういうもんやったんや」
知らなかった。ぼくは唖然とした。その事実にも驚いたが、それをみんなが隠し通してきたことにも驚いた。けれど結城の言うとおり、もしそのことを僕が知っていたら、その後二年間の僕は無かっただろう。
「あのセンセも知ってたんと違うかな。時折あいつを病院に呼び出しては何か処方してたみたいやから」
センセというのはもちろん、淳のことだろう。よくよく考えてみれば、由香利を最初に知ったのも淳が話したからではなかったか?それはもしかして、いつか僕の耳が聞こえなくなることが分かっていて紹介したのか?だとしたら淳は相当の確信犯だ。もしそうだとすれば由香利も知っていた可能性が高い。けれど僕は淳を攻めることなど出来ないし、由香利を責めることも出来ないのは明らかだ。
「この小さな出血、見えるかしら」
再び白衣の検死官が口を開いてCT画像のほんの小指の先ほどの黒い点を指した。
「この部分の出血だけが死亡の二時間から三時間前の物だと診断されたわ。それからもう一つ」
言って彼女は少し離れた部分の黒い点を指差した。
「これはなくなる直前ね。これは聴覚とは関係ない部分だわ。でも、決して小さな出血ではない。つまり、この人間は――」
僕の聴覚がぼやける。全ての音が不鮮明になる。凄い頭痛だった。そして僕の記憶は丁度一日前へと戻り始めた。


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