春風に吹く空 3

そうして二人はメモにあった吉井由香利の住所のアパートに到着し、インターホンを押した。しかし、その家から出てきたのは由香利ではなく背の高い男だった。その男を見て吉井はこれはラッキーだ、手間が省けると思ったのだ。
「あなたは昨日の事件で通報した確か」
吉井が問うと男が答えた。
「久保田淳です」
「そうでしたね、すいません。昨晩月見里りょうさんが亡くなった件でお話を伺いたいのですが。刑事の吉井です」
「同じく刑事の高木です」
吉井はまだ学生気分が抜けない若い刑事で、高木は年を食って経験を積んだ刑事だというのが淳から見た第一印象だった。二人から見た淳は少し疲れて見えたが、人の死に驚いているようにはあまり見えなかった。手帳を開いて確認したところ久保田淳は30歳、職業は勤務医。
「まずは第一発見者である竹田由香利さんにお話をお伺いしたいのですが」
「そうですか。では呼んで来ます」
「あ、久保田さん。あなたにもお話をお伺いしたいのです。通報なさった時の状況も調べる必要がありますから」
「わかりました、話が長くなるようでしたら部屋に上がっていただいて、中ででも大丈夫ですよ」
淳が言うと高木が嬉しそうに答えた。
「ありがとうございます、四月とは言ってもまだ寒いですからね。この年になると外で話を聞くのも辛くてならない」
「ならお茶もお出ししますよ」
 淳が部屋の中に二人の刑事を案内しようとしていると、いつまでも玄関で立ち話をしている事が気になったのだろう、由香利が部屋の中から出てきた。それを見て淳が言った。
「由香利、昨日りょうが亡くなった事で話が聞きたいそうだ」
由香利は黙って俯いた。しかしすぐ顔を上げて言った。
「分かったわ。昨日の今日の事だけど警察の方なら仕方ないわ。お茶も必要かしら?」
「そうだね、四人分入れてくれる?」
淳が言うと由香利は台所に向かった。
 三人はリビングに有るソファーに腰を下ろした。
「さっそくですが、いくつか確認させていただきますね」
切り出したのは吉井だった。
「失礼ですが、久保田さんと竹田さんはどういうご関係ですか?」
「あぁ、一年半くらい前から付き合っているのです」
「そうですよね。あ、すみません、そうであろうと思っていることでもきちんと確認するのが僕の仕事なので」
少し慌てる吉井を見て淳は笑った。
「良いんですよ、由香利との事を隠しても仕方が無いですからね」
淳と由香利がつきあい始めたのは一年半前。その時のことは僕も良く覚えている。
「では、次。お仕事は何をなさっているのですか?あ、昨日頂いた名刺ではお医者さんという事でしたが」
「勤務医です。近くの大学病院の緊急医療を行っています。今日はたまたま遅番だったもので」
「そうですか、お忙しいのに朝からすみません」
言われて淳は笑った。吉井にはどうやら謝り癖が有るようだ。自分の謝り癖を気にしている吉井が赤面している間に今度は高木が口を開いた。
「そういえば昨日お伺いした住所では久保田さんは別の所にお住まいという事でしたが、今日はたまたま竹田さんのおうちに?それとも普段からこちらに?」
「あ、そうでしたね。昨日の夜りょうが亡くなったと聞いてから由香利とはずっと一緒にいたので、それで今日もそのままここに居るのです。普段は自分の家に帰るのですが」
「すいませんね、プライベートなお話ばかり聞いてしまって」
 そこで由香利がお茶をお盆に入れて持ってきた。吉井と高木の後ろから湯気の出ている湯飲みを机の上に置いた。由香利が自分と淳の分のお茶を運んでいる間に高木が湯飲みを手に取り言った。
「ありがとうございます、暖かいお茶は凄く嬉しい」
そして一口飲みながら、淳にお茶を渡している由香利に言った。
「美味しいお茶ですね。これはどこか特別な所でお買いですか?」
しかし答えたのは淳だった。
「これは私が病院の方の差し入れで頂いたものです。誰も飲まないみたいだから貰ってきて、由香利にあげました。だからどこの物かはわからないんです」
「そうですか、残念」
由香利はお盆を台所に片付け、そしてようやく三人と席に着いた。
 「もういくらかお話は済みましたか?それともこれからですか?」
台所とリビングとでは大した距離ではなかったが、そばにいなかった由香利は話の内容までは聞き取れなかったのかも知れないと思いながら、吉井は答えた。
「まだお二人の関係と久保田さんのお仕事と住所の確認しか済んでいません」
「そうですか、では昨日の話はこれから」
由香利の目は明らかに赤く声も震えていたことからりょうの死がショックだったのだろうと刑事にも感じられたが、彼女は俯くことなく二人の顔を正面から真っ直ぐ見ていた。
「これからお一方ずつお話をお伺いしたいと思いますので、どちらかお一人は別のお部屋でお待ち頂いてよろしいですか?」
吉井が言い、淳と由香利はうなずいた。
「どちらからにしましょうか?」
吉井が二人の顔を見比べながらきいたが、横で高木が開いた手帳にペンを挟んで閉じながらゆっくりと言った。
「先に久保田さんからお話をお伺いしましょう。竹田さんには別のお部屋でお待ち頂きます。久保田さんとのお話が終わったら呼んで貰いますからね」
「分かりました」
良いながら由香利は自分の湯飲みを持って寝室へ向かった。後ろで高木が淳に良い恋人同士ですねと言ったが由香利は全く振り返らなかった。淳が少し照れただけだった。


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