春風に吹く空 4

 再び三人に戻り、吉井の淳への質問が始まった。
「昨日はなぜ第一発見者の竹田さんではなくてあなたが通報なさったのですか?」
「それは、由香利が通報できない状態だったからです」
「と言いますと?」
「昨日は由香利の週に一度のピアノのレッスンの日だったんです。それで夕方、確か五時スタートだったと思うのですが、りょうの自宅へレッスンを受けに行ったそうです」
「りょうさんというのは亡くなった月見里さんのことですよね?あなたもお知り合いだったのですか?」
「そうです。私たちは三人とも同じ二年前に出会った友人だったのです」
言うと初めて淳が表情を崩した。淳は救急医療の現場の医者という職業柄、僕が死んだくらいでは慌てないだろうし、人前で負の感情をあらわにする事なんて今までほとんど無かったから、正直驚いた。淳と初めて会ったのは僕が運ばれた病院で、そして由香利も同じ日に病院に運ばれたのだった。淳は担当の医者では無かったが、年が近く話かけやすかったことも有ってすぐに仲良くなった。それ以来淳とも由香利ともずっと仲の良い友達同士だったが、淳は良く笑いはしたけれど表情を崩す場面など見たことがなかった。
「始めは二人とは患者と医者という関係だけでしたが、そのうちに仲の良い友人になりました」
「そうだったんですか」
吉井が刑事という立場にもかかわらず肩を落とした。しかし、僕は淳の仲の良い友達という言葉が嬉しかった。僕達三人は二年前、一度に出会った。そして仲の良い友達となった。そう思っていたのが僕だけでなくて良かった。
「それで、あなたが通報なさったのは?」
高木が静かに言った。
「そうでしたね。由香利はりょうのピアノ教室に行って、そして玄関を開けて、りょうがベランダにいるのを見つけたらしいんです」
僕はベランダにいた。僕はベランダの柵もたれかかり、空を見ていた。
それを見た由香利はベランダのガラス戸をあけて僕に声をかけようとした。しかし鍵が掛っていた上に戸を叩いても僕の反応は無い。ただこれくらいのことは前にも二度程有ったのでその時は由香利も慌てなかったらしい。
「でも、10分位待ってもりょうの反応が無く、由香利は僕にメールを送ってよこしたんです」
手帳に何かを書きながら相槌を打っていた吉井が問う。
「その時あなたはお仕事中ではなかったのですか?」
「いえ、丁度昨日最後の手術が終わったところでした。ただすぐに携帯を見たわけではなくて、何度もメールが送られてくるから変だと感じてから見たんです。その時には由香利からのメールが六件溜まっていました」
「メールを見てからはすぐに電話でもおかけになったのですか?」
「いえ、新しいメールから順番に読んだもので、一番最初に見たメールには飛び降りたと書いてあって、何のことか全く理解出来なかったんです。でもさかのぼって読んでいくと次第に状況が分かってきて」
由香利は僕の様子がおかしいと思い、玄関に有ったバットでガラスの戸をたたき割ったという。そのバットは小学校の時に今は無き祖父から買って貰った物で、今でも大事に置いてあった物だ。ガラスの破片が夕日に光り輝く色が凄く印象的だったそうだ。しかし、その破片と同時に僕が落ちていくところを由香利は目撃してしまった。
「それでまずは落ち着いて誰か人を呼ぶようにと返信しました」
「なるほど。それからはどうなさいましたか?」
「私は由香利から聞いた情報を元に警察に通報しました。それからすぐに勤め先を出ました」
 そうして淳は僕の家に向かい、五時三十五分位に到着した。そして到着していた警察官に案内されて死んでいる僕を確認した。
「すぐに通報するように由香利さんに言おうとは思わなかったのですか?」
吉井は不思議そうな顔をして言う。
「思いませんでした、由香利が混乱している状況がメールからでも良く読み取れましたから」
「なるほど、でもまだ生死が分からない状況だ。それなのに救急車を呼ぼうとは考えなかったのかな?」
高木が意地の悪い質問をした。
「あ」
淳が驚いた顔をした。
「私は状況を聞いただけで自分の友達を死んだものとして片付けてしまった―――」
淳は悲しい顔をしていた。でも仕方のないことだろう。淳の所には毎日何人かの飛び降り自殺者が患者として運ばれてくるのだ。問題なく助かるのは三階まで。怪我で済むのも五階まで。比べて僕の部屋は十四階だ。どう考えても生き残れるはずがない。だから僕は淳を攻めないし、悲しい顔もしないで欲しい。
「では、ありがとうございました」
高木が静かにそして唐突に久保田への質問の終わりを告げた。
「久保田さんにお聞きしたいことはこれだけですので、では竹田さんを読んできていただけますか?」
はい、と一言答えた淳は立ち上がり由香利を呼びに寝室へ向かった。
 「高木さん、どうでしょう。何か怪しい所はありましたか?」
淳が立ち上がって少し離れたことを確認すると吉井が耳打ちした。
「二人は我々には隠している事がある」
そう、二人が隠していることを僕は知っている。それに高木は気付いたが吉井は気付いていないようだった。
「ただ、ひとつよく分からないとしたら、ピアノ教室かな。そもそもこの家にはピアノは無いようだし」
警察になら隠す必要は無いのではないかと僕は思う。しかしおそらく、二人の隠していることとピアノ教室という物の矛盾から、二人は前者を隠すことにしたのだ。
「ピアノ教室ですか?おれにはなぜすぐに電話しなかったのかだとかその方が気になります」
困惑顔の吉井を見て高木は笑った。
「それはまだ大事なことをお前が見落としているからだ。もっと良く二人を監察しておけよ」
そう、いくら隠していても二人の行動からばれてしまう事もあるのだ。けれどまだ吉井は気付いていない。


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