春風に吹く空 8


 寺崎深雪は海沿いの住宅街に住んでいた。彼女に最後に有ったのはもう二年近くも前のことだ。由香利の話に出てきたとおり僕達は別れた恋人同士だ。元々は大学時代の一年後輩だったのだが、卒業してから付き合い、そして別れた。住所にあった家が彼女が今も実家暮らしである事を僕に告げていた。吉井がインターホンを押して出てきた人物は深雪自身ではなく彼女の母親だった。吉井が警察ですと名乗ると明らかに不安そうな顔をした。それでも僕の死亡が告げられると深雪が不在であることと、その仕事先を教えてくれた。
 彼女の仕事先は僕の記憶とは違っていた。別れた当時はオーケストラにも参加するピアニストだったはずなのに、今は大手の音楽教室の一教師になっていた。運良くまだ昼休みが終わっていなかったらしく、二人の刑事はすぐに彼女から話を聞くことが出来た。
「まず、あなたは月見里りょうさんが昨日無くなったことをご存じでしたか?」
深雪の顔は白かった。
「ついさっき、母から電話が掛ってきて、それで知りました。本当なんですか?」
「こんな所に急にお話を伺いに来てしまってすみません」
吉井が頭を下げながら言った。三人がいるのは生徒のいない教室だった。五線の引いてある黒板、ピアノ、エレクトーン、いくつかのドラム。僕の好きな楽器ばかりだ。彼女が今もそれらの楽器に囲まれて生活していたことが嬉しかった。普段は生徒達が座っている椅子に腰を下ろす。
「先に確認させていただきますね。あなたは寺崎深雪さんで、月見里りょうさんの別れた恋人ということでしたね」
「ええ」
深雪はうつむき加減で答えた。まだ信じられない、と顔に書いてある。
「失礼ですが、月見里さんとはどうして別れたのですか?」
そんな事を聞いて深雪が正直に答えるのだろうか。
「二年前に、二人で乗っていた車で事故を起こしたのよ。それで」
それで、といって彼女は言葉に詰まった。そこに高木が槍を出す。
「なるほど、それが原因でわかれたと、な。ところで、昨日の昼から夜にかけて何をしていました?」
その一言で彼女の目が見開かれた。白かった顔がみるみる間に赤くなる。
「あたしのこと、疑ってるの?そりゃ事故を起こしてから別れるまでは随分とりょうの事を恨んだわ。でも、だからって」
「すいません、あの、その」
怒って声をあらげる深雪に吉井がたじろぐ。しかし高木は冷静だった。
「だからって月見里を殺しはしないと言いたいのか?」
深雪は恨めしそうな眼で高木を見上げる。
「ならきちんと説明して貰おうか。過去に害者と何が有ったのか、それから昨日は何をしていたのか。昨日寺崎さんが月見里さんに電話をかけていた事は分かっているんだ。やましいことは無かったんだろう?」
「分かりました」


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