物書きの性 2

『そろそろ頑張らないとやばいなぁ、いや今までだってずっと頑張って来たさ、でもおれももう三十路を過ぎた。』
『早くしないと本当にこの運命からはずれる事が出来なくなる。』
『おれは誰かの書く道筋に捕らわれて居るのだ。』

 パソコンにだっと思った事を打ち込んだ。それを睨んで、そして現実に衝突して打ち込んだばかりの文字をため息を吐きながら消した。大学を出てから作家を目指してこの年までだらだらと夢を諦めきれずに文章を書いてきた。去年くらいまでは親からうるさく何度も諦めろと言われていたが、結局親の方が諦めたのだろう、今年になってからはもう何も言われなくなっている。
 パソコンの横に置いたマグカップからコーヒーを一口飲み、そしてその周りを確認する。良かった、何も書かれていない。
 窓から段々と短くなってきた日が差し込み、おれを情けなく照らし出す。夕日のオレンジ色の、余計情けなくなる、悲しくなる、寂しくなる光だ。部屋中がその色に染まる。パソコンには先ほど書き上げたばかりの文章が表示されている。今時心中ものなんて誰が読むんだ?発効部数は廃誌すれすれ、内容もちっとも面白くない雑誌の、内容は担当が指定してくる安っぽいものを肉付けするという、しかも原稿料も安い仕事だ。そんな仕事ではあるがこれが無くなってしまうとおれは自分の文章を世間に発表する機会を完全に失ってしまうのだ。だからおれは今、冬の刊に間に合うように書きたくも無い話を書いている。書きたく無いとは言え、どれもこれもおれの話が面白くないからいけないんだろう。ため息をもう一度つく。マウスを動かして文章を保存して、そして電源も落とした。
 電源を落としたおれはもう一度マグカップの周りを確認する。あぁ、やはりそうだ。机の上に新しい文字が増えていた。
「もうどうしようもないんだよ、お前はこのまま朽ちていくのさ」
おれはそれを読み上げる。一体何なんだ。机の上にさっきまでは無かった文字が有る。おれはその文字の上に空になったマグカップを置いて隠した。

 文字が勝手に書かれるなんて変だ。そんな事は有り得ない。はじめのうちはおれも気持ち悪く思い、何人もの友人に相談した。だが誰も信じてくれなかった。特に意味が分からないのが、書かれていた文章がおれの未来を言い当てていた事だ。新しく書かれた文章を読んでから外に出るとその通りの事が起こるのだ。まるでおれの未来を文字が勝手に作っているとしか思えない。
そのうちみんなおれの頭を疑う様になっていった。けれど俺の家に実際に何が起こっているのか見に訪ねて来てくれた。その頃には文字は机の上をはみ出し、机のそばの壁にあふれていた。統一された、角張った文字で何かしらの言葉が書かれていた。はじめのうちはおれも見つけては消していたのだが、ある時から追い着かなくなっていたのだ。おれの机を見て、友人は絶句した。そしておれの顔を見て
「本当に大丈夫なのか?」
ときいた。正直に
「よく分らない」
と答えるしかなかった。その夜には壁に大きく「大丈夫」と書かれているのを見つけた。
 しばらくして、文字は部屋中にあふれる様になっていった。どこもかしこも文字であふれていった。心配して様子を見に来てくれていた友人も気味悪いと来なくなった。そのうち連絡も途絶えた。そういえば親からうるさく言われなくなったのもそのころだったかもしれない。

 寒い冬をおれは一人で増えていく文字と戦いながら耐えた。文字はおれの未来を少しずつ言い当てた。出かけて帰ってくると出かけていた間にしていた事が書いてあったり、出かける前に見た文字の通りの事が出かけ先で実際に起こったりもした。それ以外では、文字は時にはおれが欲しい返事をしてくれる事も有ったが、大抵はおれが一番言われたく無い事を言うのだった。
あぁ、誰かが文字を書いている。そしてその文字の主がこのおれの人生をも書いているに違いない。
 春になる頃にはおれは文字に慣れた。文字を見ても平常心を失う事はほとんど無くなった。そして文字の事を人には一切言わない様になった。そんな事を言うと誰もおれを信じてくれなくなるのだ。確かに書かれている文字には見覚えがあって、俺がかつてパソコンも無かった時に紙に書いていた自分の文字にそっくりだった。だがしかし、おれには断じて自分でそれを書いている覚えなんて無い。

 俺は昼間は家にこもって文章を書いている。夜は近所のパチンコ屋で夜間のバイトだ。毎晩働いているおかげで男一人が細々と暮らして行くには十分な収入が得られて居るがいかにせよ、自分でもつまらない生活だと思う。心中物語の男の様に生活には困っているが、自分を愛してくれる女性がいる、まぁ本当は彼女にはもう愛情は無いという設定なのだが、とおれの様に生活には特には困って居ないけれど彼女なんてどこをどう探しても居ないおれとどっちの方がましなんだろう。でも文字に襲われないだけこの心中男の方がましなのかもしれない。
 外で仕事をしている間はおれは文字に襲われたりしない。文字を目にする事も無いし、その事を口にしたりしない限り変人扱いされたりもしない。ただの、少しくたびれたフリーターにしか見えない。本当は作家だと名乗りたいところだが収入が無いのだから事実フリーターでしかない。夜日が沈んだ頃に店の制服に着替え、一晩かけて酔っぱらいや強面の人の相手をし、掃除をし、そして日が昇る頃閉店と共に制服を脱ぎ捨ておれは家に帰る。家に帰ったらまずは風呂に入って、そして昼過ぎまで眠る。目が覚めたらそこで新しい文字が書かれていないか部屋中をチェックする。そして書かれていれば読み、書かれていなければ気にしない。パソコンの電源を入れる。次こそは出版社に持って行って門前払いされないだけの作品を書くぞと書き始める。しかし、段々とおれの集中力は落ちていく。
 何をしていても、この家に居る限り部屋中に書かれた文字が目に入るのだ。消えてくれないのだ。それで考えるなという方が無理である。コーヒーを入れる。幸いにも文字が書いてあるのは部屋の中だけなので台所にいるこの一瞬だけは視界から文字が消える。だがおれはあの部屋のあの机の上でないと小説が書けないのだ。だから机に戻りコーヒーを口にする。
 コーヒーで覚めた頭で考える。この文字は何がしたいんだ?なぜおれの未来を当てる?なぜおれの疑問に答えたりする?この文字はおれの人生を書いているのか?おれはそれに捕らわれているのか?おれはそこから逃げる事は出来ないのか?
 何度も逃げようとしてみたはずだ。書かれていた文章とは違うことをしようと努力した日々も有ったはずだ。しかし、気付いたらおれはいつの間にかそれに従う様になって居たのだ。あぁ、おれはもう自分の意志で生きる事も出来なくなってしまったのか?いっそ机の上に作家を諦めろとでも書いてくれたら良いのに。
 あぁ。おれはまた新しい文字を発見する。


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