物書きの性 3

 家に帰ると鍵が開いていた。明かりもついていた。
「勝手に来ても良いって合い鍵渡したのは僕だけどさ、中に入ってるんだったら鍵くらい閉めろよ。危ないだろ?」
「あ、ごめんね。それよりもお帰りなさい」
そう言って俺のコートをハンガーに掛けてくれるのは最近結構を考え始めた彼女だ。彼女がさっきまで座っていた場所に一束の紙が落ちている。僕がそれを見ている事に気付いて彼女が言った。
「そうだ、勝手にこれ読んじゃったの。ごめんね」
「うわっ、それ読んじゃったの?隠しておこうと思ったのに…」
僕がそれを手に取ろうとすると彼女がわざと遠ざけた。
「普段取材してさ、本当にあった事だけを書くって言って記者してるからお話も書くなんて思っても見なかった。だから気になって読んじゃったの」
「まぁ、良いけどさぁ。やっぱりそれはちょっとはずかしいわ」
彼女が笑って返してくれた。
「雑誌にだって沢山文章載ってる人が恥ずかしいなんて言うの?」
「だってさぁ。これは僕が考えた事なんだよ?はずかしいさ。それにこれまだ書きかけだしさ」
 僕はフリーライターをしている。フリーだから安定した仕事は無いが、行動に束縛が無い分一人で全てやらなくてはならないとはいえ、深く調べる事が出来る。生活の為に時にはゴシップ記事も書くが、基本的にはきちんと取材をして真実だけを書く、それが僕の理念だ。だが、僕はこっそりと小説も書いてきた。誰にも見せた事は無いが、その数は段々と増えて来ている。今回彼女に見つかったのは最近書き始めたものだ。途中で結末が思いつかなくなって、紙に印刷して眺めていたら少しは先が見えるかと思って印刷したのだ。隠しておくべきだったのかもしれないが、やはり書くからには人に読んで貰い感想を頂くというのが理想なので、読まれてしまった事は恥ずかしいし未完とはいえ気にはしない。
 それに何より彼女は小説の雑誌の編集者なのだ。意見は必聴だ。
「感想、何か言ってよ」
紙をぱらぱらとめくっていた彼女に言う。
「ねぇ、本当にこれまだ続くの?」
彼女が顔を上げて不思議そうに言った。
「そうだけど。何か変かな?」
「うん。わたしこれで終わりだと思った。だってこれ、先も気になるけどこれ以上書いてあっても逆にがっかりするかもしれない、ちょうどそんなところで終わってるんだもん」
「そうなんだ?」
予想外だった。僕が考えるのに何日も費やして結局思いつかなかった今後の展開を、彼女はない方が良いと言う。言われて見るとそれでも良いという気もした。

 「この先の展開はね。僕の中では二つしか選択肢が無いと思って居たんだ」
自分で飲もうと思って買ってきた缶ビールを空けて彼女のコップに注いだ。うなずきながら彼女は僕のコップにもビールを注いでくれた。
「一つは。本当にこの作家志望の男の言うみたいな事が起こっている。つまり、超常現象だね。それでもう一つが彼が彼自身の自覚していないうちに、無意識のうちに全ての事をやっているという話だ。そうなると彼はもう正常ではない」
少し考えて彼女は口を開いた。
「そうね。確かにその二つしか話として成り立ちそうなものは無いわね。でも超常現象にすると怖すぎるし、原因も分からない。彼自身の問題だとすると彼をどう扱って良いのか分からなくなる。難しいわね」
「そう、だいたいそんな事を僕も考えてた。どっちも納得が出来なくて、で、結局思いつかなくて机の上に出しっぱなしにしてたんだ」
「で、それをわたしが見つけて読んじゃった、と」
言って彼女は笑った。つられて僕も笑った。
 「ねぇ、他には何も書いてないの?」
彼女が僕に問いかける。僕は立ち上がり、そして机の引き出しを開けた。
「紙に印刷してあるのはそれだけなんだ。他は全部このCDに焼いてある」
「読ませて読ませて」
彼女にCDRを渡すと僕は机の上のパソコンを起動した。そして数ある僕の小説の中から一番まともだと思えるものを選んで表示させた。彼女は椅子に座り、僕の小説を読んだ。
 そんなに長いものではなかったから、ものの数分で彼女は全てを読み終えた。椅子を回転させてこっちを向く。
「あれ、なんでそんなに緊張してるの?」
「いや、だってさ」
「大丈夫、面白いと思うわよ。まぁ難しいし一般受けはしないと思うけどね」
「本当?面白い?」
僕は目を見開いた。彼女が笑顔で答える。
「そうね。でも一般受けはしないって言ってるでしょ。それでもね、発想は面白いと思うのよ。文章も普段から書いてるだけ有ってまとまってるし」
「そうなんだ。でもまぁ良かった。これでつまらないって言われたらどうしようかと思ったよ」
「そうね。これでつまらなかったらわたしも困ったわ」
笑って彼女は立ち上がった。そして台所へ向かう。僕の整理の行き届いていない洗い桶からフライパンを取り出した。どうやらこれから美味しい手料理を食べさせてくれる様だ。機嫌の良い証拠だ。そして僕は彼女が料理している間ソファーにうずくまってもう一度考えてみる。そうだな、確かにたまには全てを書ききらないで終わってみるというのもありかもしれないな。これは記者には出来ない事だな。
 そう思って僕は、密かに胸に抱いていた体力が無くなったら作家に転向するという小さな夢に、蓋をした。


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