一匹の小さな魚の話 1


 一匹の小さな魚が川の底に住んでいました。彼女は人間から見れば小さいけれど、川の中では決して小さくない方です。幸いなことに彼女よりも大きい魚たちはみな草や藻を主食としていたので、何にもおびえることなく暮らすことができました。彼女自身はというと、流れていく草も食べるし泳いでいく虫も食べます。
 彼女にはたくさんの仲間がいて、いつも気の合う者どうし一緒に川の底を泳いでいます。一緒に食べるものを探すこともあるし、眠るときには互いに互いの身を守り、それ以外の時はたいてい楽しくおしゃべりをしています。
 彼女の周りではいつもたくさんのものが流れていきます。まず、川の水が流れていきます。食べるものも流れていきます。空を見上げれば雲も流れていきます。時も流れていきます。たくさんの仲間もいつも同じではなく、少しずつ変わっていきます。そしていつかは、彼女自身も死と同時に流されていくのです。
 彼女とその仲間たちは食べることが大好きでした。しょっちゅう川をさかのぼって美味しい藻をとり行き、今日のご飯にぴったりな獲物が現れた時にはいっせいに捕まえにかかりました。けれで、彼女には他の魚たちと違って、もっと好きなことがあったのです。それが、物語を作ることでした。
 彼女が魚だからといって、そこが川の中だからといって、本がないなんてことは人間の思い違いです。彼女はせっせとたくさんの物語を考えては本にしていました。物語を作ることは簡単なことではありません。それに、楽しいことばかりでもありません。川の水と一緒に時間とともに、流されていってしまったことも何度もあります。それでも完成した物語を他の仲間に読んでもらった時の、その仲間たちの喜びを思うとやめることはできませんでした。彼女の考えた物語の全てがみんなに受け入れられたわけではありませんでしたが、それでも感想をもらえることは彼女の励みになりました。
 そんなある日、彼女はとても長い物語を書くことを思いつきました。その物語の終わりは彼女にも予想できません。いつ終わるのかも、いつ書き終わるのかもわからない本を彼女はひたすら書き始めました。毎日毎日物語、時には何枚も、またある時にはほとんど進まず、それでも休むことなく紡ぎ続けました。
 仲間たちはみんな、時々完成する物語の短いかたまりを読むことをとても楽しみにしていました。彼女の手書きの文字を、みんな額を寄せ合って読んだものです。そして読み終わると必ず、他の仲間に自慢しました。彼女の長い物語は沢山の仲間に広まっていきました。
 彼女の長い物語の書かれた本はいつしか、数えきれないほどの数になりました。けれど、彼女自身がみんなの前に出てくることは少しずつ減っていきました。以前はあれほど楽しみにしていた読者からの感想も、いつの間にか彼女が受け取ることは減っていきました。


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