和音3

 俺は久しぶりに夢を見た。朝起きるとユサヤが台所に立ち、朝食を準備していた。それを見ながら夢を思い出した。俺はピアノを弾いていた。もうずうっと昔の事だ。小学校低学年。親の趣味で俺もピアノを習うことになった。毎日練習をする。最初は喜んで弾いていたピアノも、そのうち練習をさせられているだけになってきた。
夢はそんな時のひとつの場面。何度弾いても和音にならない。俺は楽譜通りに弾いているのに和音にならない。母親に散々違うと怒られ、練習するけれど和音にならない。先生にお手本を示して貰い、その通りに鍵盤を押さえているのに和音にならない。現実のピアノならばそんなはずはない。ピアノというのは鍵盤を押さえればいつも同じ音が出るように作られているのだ。だからおかしいのに、夢の中のまだ小さい俺はそのことに気がつかない。何度も何度もおかしなピアノで和音にならない音を弾き続ける。
 そういえばこの夢を前にも見たことがあった。あまり思い出せないが、まだ夢を見ていた頃にはしょっちゅう見ていた様な気がする。いつから俺は夢を見なくなったんだろう。
「おはよう。昨日はほとんどご飯を作ってもらったから、きょうは作ってみた」
ユサヤがフライパンに目玉焼きを乗せて台所から入ってきた。
「・・・おはよう。って凄いな。みそ汁の匂いもする」
「ありがとう。ご飯も炊けたし。まだ時間は大丈夫?ゆっくり食べられると良いけれど。相当忙しいんでしょう?」
俺は手帳を見ながら答える。
「大丈夫、今日は朝練無いし」
「じゃぁ良かった。朝ご飯を食べよう」
 しばらくの間朝のニュース番組を見ながら二人で少し喋り、食べていた。
「そういえば、何か昨日と言葉遣い違わない?普通になったっていうか・・・」
言うとユサヤは少し照れたようにはにかんで答えた。
「久しぶりに仕事に来たから言葉が時代遅れだっただけだよ。大丈夫、昨日から相当テレビを見たから」
あぁ、意味が分からない。やたらテレビを見ていると思ったら。そしてそんな発言を聞きながら俺は変だと思わない。やはりユサヤは夢喰い神で、俺はそいつを拾ってしまった。「やっぱり神様なんでしょ?」という質問はもはや無意味だ。
「おれ、今日久しぶりに夢を見た」
言うとユサヤは急に残念そうな顔になった。
「そう。仕事はこれからなんだよ」
「ふーん、なんで哀しそうな顔するわけ?夢が食べられるんでしょ?これから」
言うとユサヤは俯いて言った。
「しばらく仕事してなくて食べられなかったせいで、力が出なかった。だから食べられなかった」
「そら残念だな」
かなり残念だ。慰めようがない。この会話の途中俺は見た夢を徐々に忘れていったがしかし、そのことには気付いていなかった。
「だからまぁ今夜も泊めて欲しいんだけど」
「それはまぁ仕方ないか。昨日の服、洗濯機で洗って良いよ」
「ありがとう。掃除もしておく」
ユサヤは笑った。笑うと少し歯が見えるのが、どうやら存在感の割り増しに荷担しているようだ。
 食べ終わってユサヤに問いかけた。
「どうして俺の夢を食べに来たの?」
「それは重たい夢を見ているから。凄く重たい夢だから、芯が詰まっていて食いでがある」
今まで白かっただけの顔が一瞬だけ狩りをする獲物の顔になった。
「成る程ね。でも俺、夢見ないよ?」
今朝は夢をみたはずだった。しかしもうその事を思い出すことが出来ない。
「それに今日は授業終わってから個人練と合奏があるから何時に帰って来れるか分からないよ?もしかしたら徹夜になるかもよ?そうしたら夢見るどころか・・・」
「大丈夫だよ。絶対に眠れるさ」
本当は眠るどころじゃないスケジュールなのに。明日提出のレポートまだ終わってないのに、明日も朝練なのに。でも俺は反論できなかった。ユサヤの声がとても優しくて、そして頭の中までも良く響いたのだ。


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